整形外科学
沿革
整形外科学講座は、昭和51年4月に大阪大学から赴任した下村裕先生が初代教授となって創設された。下村教授は講座の礎を築き、その後、教官定員10名は大阪大学と慶應義塾大学から派遣された。平成4年4月に下村教授の退官に伴い、新名正由助教授が第2代教授に昇任した。新名教授は講座基礎研究の充実を図り、国内外に成果を発表すべく尽力した。しかし、正にこれからという平成7年6月に残念にも新名教授は病のため急逝された。その後1年間は教授不在であったが、山岸正明助教授の元に医局員全員が結束して苦難の時期を乗り越えた。平成8年4月に慶應義塾大学から冨士川恭輔先生が第3代教授として着任し、講座は教育面ならびに診療面での一層の発展を遂げた。平成16年4月冨士川教授の退官に伴い、根本孝一助教授が第4代教授に昇任した。根本教授は自衛隊衛生部門との協力体制を一層強固なものとした。また、根本教授は、防衛医学研究センター長、手術部長、図書館長など、学校・病院の要職を務め、平成26年から教育担当副校長として学校全体の教育水準の向上に尽力した。副校長昇任に伴って退任された根本教授に替わり、平成27年4月から北里大学北里研究所病院の副院長であった千葉一裕先生が第5代教授として着任し、現在に至っている。
教育の概要
この10年間で卒前卒後の教育は大きく改善された。冨士川教授は講座の長としてのみならず教務部長として医大全体の教育を指導改革し、医師国家試験合格率100%の時代が続いた。
整形外科の卒前教育では冨士川教授の指導で『整形外科講義ノート』を教官全員で作成して学生に配布し教育の効果を上げた。『整形外科講義ノート』は『運動器系講義ノート』として、現在もさらに中身を充実して継承し毎年改訂を続けている。座学では教官のみならず部外講師による専門分野の特別講義を行うとともに、講座OBの自衛隊医官による招聘講義で自衛隊における整形外科医療の実際を教育し、学生の学習意欲を高めている。BSLでは教官全員による専門分野のクルズス(小講義)で学生の個別的な理解を向上させている。さらに受け持ち症例に基づいたレポート課題を与えて学習させている。学生を2人ずつペアにしてギプス実習を実施しているが、互いにギプスを巻いて電動カッターで切る実習は患者の気持ちを理解するのに大変効果的であり、学生は毎回真剣かつ嬉々として実習を行っている。毎週月・水曜日夕方に行う病棟カンファレンスでは学生を1人ずつ全員の前に立たせて症例ごとの画像所見を論じさせるトレーニングは「その時はつらいがBSL終了時には画像が読めるようになった」と学生の満足度が高い。
卒後教育では初期研修医は卒後2年目に全員が整形外科を6週間ローテートする。運動器外傷・障害は自衛官に多発するので、整形外科は自衛隊医官にとって必修の診療科である。整形外科専攻希望の研修医はさらに3カ月整形外科を研修する。卒後3、4年目は自衛隊病院や部隊に転出し、卒後5、6年目に専修医として大学病院に戻って研修する。卒後7年目も大学病院に残って研修する者も増えてきた。専修医は各診療班に配属され教官とともに患者を受け持つ。5年目は万遍なく全ての診療班を回り多様な外傷・疾患の患者を受け持ち、6年目は各人の希望する診療班で専門研修を深化させる。専修医の時期に部外研修を5カ月間行い、自衛隊とは異なる市中の基幹病院での臨床経験を積ませる。毎週2回の病棟カンファレンスではmini–lectureの課題を教室員全員に与えて知識の整理と再確認に努めている。専修医の時期に症例報告や臨床研究の学会発表を経験させ、学会活動を通じて整形外科医としての一層の成長を促している。
研究の要約
基礎研究は講座教職員と医学研究科学生を中心に行ってきた。下村教授は講座研究室の基礎を構築し、成長軟骨、肥大軟骨細胞、骨代謝、脚延長などに関する研究を指導した。新名教授は、主に関節軟骨と椎間板を対象とした研究を指導し、関節マーカーやchemonucleolysisに関する研究が行われた。特に、軟骨破壊酵素であるMMP–3の研究は、今日では関節リウマチの一般臨床検査項目となり実を結んでいる。冨士川教授は関節疾患に関する研究を発展させ、tissue engineeringを用いた人工靱帯に関する研究、関節軟骨の修復、力学的減負荷の影響などに関する研究を指導した。根本教授は末梢神経障害、ストレスと組織修復、力学的減負荷と骨形成、脊椎固定スクリューなどの研究を指導している。他の講座・部門との共同研究も盛んで、これまでに多くの共同研究を実施してきた。現在、防衛医大特別研究(平成24–26年度)として、「末梢神経障害の病態解明と再生・治療に関する研究」を遂行中であるが、これは整形外科、神経内科、耳鼻咽喉科、解剖学、分子生体制御学の5講座の共同研究である。
臨床研究は手上肢、膝関節、股関節、脊椎の4つの診療班で独自の研究を行っている。長期成績に関する報告では病院創設時からの長期に渡る研究もある。現在、衛生学公衆衛生学講座および自衛隊衛生の各部門の協力のもとに「自衛官の運動器外傷・障害の疫学的研究」を行っているが、この研究は「日本整形外科学会学術プロジェクト研究」(平成21–23年度)と2度に渡る「防衛医学推進研究」(平成18–20、24–26年度)に採択された。また、日本ではまだ専門家の少ない音楽家医学の臨床研究も行っており、その成果は自衛隊音楽隊隊員の健康管理に役立っている。
これらの研究は「防衛医大学術集会賞・優秀賞」、「防衛衛生学会優秀賞」をはじめ「日本整形外科学会奨励賞」、「日本骨形態計測学会賞」、「日本膝関節学会最優秀論文賞」などを受賞している。また、冨士川教授の退官を記念して設けられた「冨士川賞」は優れた研究成果を挙げた教室員に毎年同門会総会の開催時に授与されており、特に若手にとって大きな励みになっている。
国際交流も盛んで、英国Leeds大学、St.James’s University Hospital、Royal National Orthopaedic Hospital、スウェーデンLund大学、米国Harvard大学、Vermont大学、California 大学、South Florida大学、Rush医科大学、Van Andel研究所、カナダMcGill大学、ニュージーランドOtago大学などに教官や研究科学生が留学した。
主催した主な学会は、昭和62年「国際整形災害外科学会基礎学術集会」(下村)、昭和63年「日本整形外科学会基礎学術集会」(下村)、平成2年「東日本臨床整形外科学会」(下村)、平成7年「日本軟骨代謝学会」(新名)、平成9年「日本関節鏡学会」(冨士川)、平成13年「日本膝関節学会」(冨士川)、平成21年「日本末梢神経学会」(根本)、平成23年「日本インストゥルーメンテーション学会」(朝妻)などである。平成27年には「日本手外科学会」(根本)を予定している。
卒後教育では初期研修医は卒後2年目に全員が整形外科を6週間ローテートする。運動器外傷・障害は自衛官に多発するので、整形外科は自衛隊医官にとって必修の診療科である。整形外科専攻希望の研修医はさらに3カ月整形外科を研修する。卒後3、4年目は自衛隊病院や部隊に転出し、卒後5、6年目に専修医として大学病院に戻って研修する。卒後7年目も大学病院に残って研修する者も増えてきた。専修医は各診療班に配属され教官とともに患者を受け持つ。5年目は万遍なく全ての診療班を回り多様な外傷・疾患の患者を受け持ち、6年目は各人の希望する診療班で専門研修を深化させる。専修医の時期に部外研修を5カ月間行い、自衛隊とは異なる市中の基幹病院での臨床経験を積ませる。毎週2回の病棟カンファレンスではmini–lectureの課題を教室員全員に与えて知識の整理と再確認に努めている。専修医の時期に症例報告や臨床研究の学会発表を経験させ、学会活動を通じて整形外科医としての一層の成長を促している。